たま駅長、ニタマ駅長と「貴志川線の未来をつくる会」の10周年を祝う!

和歌山電鐵 社長 小嶋 光信

濵口さんを代表とする「貴志川線の未来を“ つくる”会」が結成10周年を迎えた。

思えば十年前に南海電鉄貴志川線が廃線を発表し、俄かに存続運動が起こり、「乗って残そう貴志川線」という名キャッチフレーズのもと、会費1000円で6000人以上にのぼる会員活動は、本当に素晴らしかった。

他地域の鉄道の存続運動とは全く異なり、民間主体での存続運動が特徴的だった。各地の存続運動は、行政が交通弱者と少子高齢化を心配して官製で行なわれるケースが多く、運動の主体が公共交通を利用していない市民である場合が多く上滑りしていたが、この運動は市民中心で行政側がサポートをするという典型的な見本だった。

私が両備グループの岡山電気軌道を母体としての和歌山電鐵による再生を決意した背景には、色々なファクターがあるが、この会の存在が最も大きい。

今日の「貴志川線祭り」の式典にも和歌山市長、紀の川市長と、いつもは和歌山県知事が出席だが、選挙のため和歌山県の幹部が来賓として出席してくれた。市民団体と鉄道会社の祭りに知事、市長が揃い踏みというのは全国でも少ない。

地域鉄道をブームに導き、一つの社会現象化した立役者の社長代理・たまウルトラ駅長とニタマスーパー駅長も感謝の気持ちで一杯で、たま駅長は何度も何度も「感謝ニャン!」と叫んでいた。

思えば2006年4月1日の再生の開業日に、「私は10年の貴志川線のために来たのではなく、20年後、30年後の地方鉄道の存続のために来たのだ」と挨拶をしたら多くの関係者が「いや10年保てば十分です」と言われた。誰からも20年、30年の期待は無かったが、お陰様で昨年12月に交通政策基本法と、今春地域公共交通活性化及び再生に関する法律改正法が長年の努力で法制化され、私の約束の一端が現実化した。

そんな思いが頭に去来しながら、濵口代表に10年の活動への感謝状を差し上げたら、「感謝するのはこちらです」と言っていただいた。その上電車の座席のモケット一編成分をいただいた。

交通政策基本法や活性化・再生法の根底にある国、自治体、市民、事業者が一体になって地域づくりの一環として公共交通を維持発展させるスキームは、まさにこの和歌山電鐵での地域一体の取組みがモデルと言えるだろう。

「お役に立って嬉しいニャオン!」とたま駅長も喜んでいた。

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