和歌山電鐵 社長 小嶋 光信
今回の貴志川線祭りは、1000年に一度の大災害である東日本大震災の復興支援チャリティーイベントとして行うこととし、開会に先立ち、参加者全員で被災地への哀悼の意を込めて黙祷をしました。
5月8日9時26分和歌山駅発のおもちゃ電車に乗ったら、三人連れの奥様たちが「わー、可愛い電車!」と若い娘さんたちのように駆け寄っていく姿を見て、5年前と様変わりの賑わいに感謝しました。5年前の日曜日のこの時間帯は、通勤、通学の客もなく、閑散としていたのに、ありがたいことです。
そしてこの第5回目の貴志川線祭りを、大橋和歌山市長、中村紀の川市長、和歌山県から岩城局長はじめ、約2000名のサポーターや市民の皆さんにお集まりいただいて、このように盛大に行なえることは感激です。
岡山電気軌道がこの旧南海電鉄貴志川線の再建を引き受けた時は、誰しもこの再生が成功すると思った人はいなかったでしょう。多くの第三セクターによる地方鉄道の再建が失敗して、私には南海電鉄貴志川線は、全く違う方法での再建の仕組みを作り上げて再生を目指す最期の試みであると思われたのです。
そこで、私はこの貴志川線再生のご相談を受けた時、第三セクター方式の失敗の分析をして、一年前に実験に成功した津エアポートラインの公設民営の手法を応用し、
- 公設民営による再生とすること。
- 経営は第三セクターとせず、民間の単独出資で経営責任を明確化すること。
- 運営の司令塔は社外の行政主導の地域協議会でなく、利用者や市民団体中心の社内の運営委員会とすること。
という三原則で再建案の提案をしました。
公設民営で第三セクターでなく経営をするということは、当時の法律では難しかったのですが、国、和歌山県、和歌山市、紀の川市(当時は貴志川町)の善意でスキームができました。
地域公共交通は、地元住民の物心両面の熱意と支援が無ければ成功しません。通常の再生では、公共交通の必要性を知っている行政が主体になって存続運動が行われ、行政が運動資金を出しているときは熱心にやっていますが、行政の手が離れた瞬間に熱意が萎んで失敗しています。貴志川線の場合は、利用者主体の運動が、貴志川線の未来をつくる会の濱口代表を中心に行われ、そこには全国に見られないような素晴らしい物心両面の善意の活動があったのです。
それに加えて、神様の使いとも思われる三毛猫たまちゃんが、開業日に住処を失って、飼い主の小山商店の奥さんが私に貴志駅にたまちゃんの小屋を置かして欲しいと必死に頼んでこられました。その時たまちゃんと目があった瞬間に、「この子は貴志駅の駅長だ」と閃いたのです。そしてたま駅長が誕生し、小山さんご家族の善意のたま駅長の駅務支援もあり、たま駅長が再生のシンボルになるほどまでに活躍が出来たのです。そして、社員の献身的努力が相まって、今日があるのです。
和歌山電鐵の再生で鉄道の公有民営法が出来ました。
折り返しのこれからの5年間で、次の10年、20年のスキームを創らなければなりませんが、これは地域公共交通の存続に関わる「交通基本法」の成立と財源の確保が大きな前提になってくると思います。この法律ができるように和歌山電鐵や中国バスの再生に努力したといっても過言ではありません。
今日はミニいちごトレインのお披露目もあり、私もたま駅長と一緒にミニいちごトレインに乗る予定です。皆様もイベントお楽しみ下さい!
この5年間で次の20年、30年後を創るとお約束して、ご挨拶と致します。
参加者総数約4000人。
会場にて、和歌山電鐵、開業5周年記念として、東日本大震災復興義援金イベントにご参加いただいた皆様に単一電池2個1セットとして2000個をプレゼントし、感謝の意を表しました。
全国から多くの方にご参加いただきましたことを深く御礼申し上げます。