たま神社建立と「たまⅡ世駅長」誕生! – ニタマ駅長が襲名 –

和歌山電鐵 社長 小嶋 光信

8月10日のたまちゃんの50日祭までは、ひたすら、たまちゃんのことを祈って、その日が過ぎるまでたま駅長の後継指名を控えていました。後継を考えていると、それ以上にたま駅長と一緒に楽しく仕事をして過ごした日々が思い出され、あまりにたまちゃんの存在が大きく、偉大であったので、考えることが辛くて止めました。

まず、50日祭を機に、8月11日「たま大明神」となった、たまちゃんの記念碑を建立しました。社葬が終わった日に、たま大明神の記念碑を創ろうと決意して、たまちゃんが育った地に流れる貴志川の河原に幹部と共に石を探しに行って、たまちゃんに相応しい記念碑の石と台座の石を見つけました。その石に金釘流宗家の私が揮毫して現地の石材屋さんに彫ってもらいました。どうしても私が書いてあげたかったのです。そのたま大明神の記念碑を「ねこ社」の横へ、「ねこ社」のお社を改装して「たま神社」として建立しました。

たま神社には、在りし日のたまちゃんを彷彿とさせる可愛い銅像を飾ることにしました。神社と記念碑は、たまちゃんがお花見をしていた桜の木のそばで、大好きだった貴志駅と電車達がいつも見えるところに建立しました。

たまちゃんは、和歌山電鐵の再生や地域公共交通を守る法律の制定にも大きな影響を与えたばかりでなく、髙橋大輔さんがオリンピックのメダルを獲得する心の支えになったり、たまちゃんに会って不登校が治ったり、激しい引きこもりの女性が社会復帰できたり、たまちゃんのサークルが縁で結ばれたり、不思議なご縁がいっぱいあることが社葬の時の会葬者との会話で分かりました。だから、3,000人もの会葬者になったのです。たまちゃんは、我々だけでなく、訪れる多くの人たちに大きな癒しを与えていたのです。きっとこれからも、「たま名誉永久駅長」は、地域公共交通を守ってくれるばかりでなく、新たなパワースポットとして、みなさんの心を癒してくれるものと思います。

たま駅長の後継には、ニタマ駅長を指名し、「たまⅡ世駅長」を襲名させ、通称として「ニタマ」を名乗らせることにしました。結局順当にニタマ駅長が「たまⅡ世駅長」を襲名ということになりました。実は、たま駅長の後継候補は、ニタマ伊太祈曽駅長と、岡山電気軌道の「たま電車」にある和歌山応援館、館長代理のSUNたまたま(雌・2歳)がいました。

ニタマちゃんは「ねこ駅長訓練所」の第一期生で、大変優秀な成績で抜擢され、岡山から和歌山電鐵に転勤しました。SUNたまたまちゃんは、第四期生で成績は中の上でした。ねこ駅長訓練所と言っても、訓練は一切せず、職場で人と一緒にいることが負担でなく、楽しんで仕事ができるか、制帽を被ることを嫌がらないかどうかという適性を見極めることを中心にしています。

ニタマちゃんを抜擢した理由は、たま駅長の直接の薫陶を厳しく受け、貴志駅の駅長代行も務めた今までの貢献を評価したことと、ニタマちゃんの人気が非常に高く、すでにニタマファンが沢山できていることも理由のひとつです。

「たまⅡ世駅長」の経歴は、2010年のある雨の日に、岡山県岡山市北区津高の国道53号線で泥まみれで車に轢かれそうになっていた猫を保護した女性から、洗ってみると三毛猫だったので、岡山電気軌道にもらって欲しいとの依頼があり、引き取りに行ったことから始まりました。

ねこ駅長訓練所の第一期生として前述のように極めて優秀な成績で、最初は岡山電気軌道の観光センター (現・本社事務所) で受付係として勤務しました。2012年1月に既に高齢となり、常務執行役員として業務多忙なたま駅長の部下として和歌山電鐵に転勤し、その年の2月には伊太祈曽駅長兼貴志駅駅長代行で今日に至っています。現在5歳、人間なら36歳の妙齢な美人猫です。

たま駅長は、大変性格が温厚で、普段は一切怒った姿は見せませんでしたが、部下のニタマ駅長にはいつも大変厳しく、時には「ハーッ!」と怒って、仕事ぶりを注意していました。今思えば自分の後継に育てるための愛のムチだったのでしょう。

「たまⅡ世駅長」も、たまの薫陶を活かして、素晴らしい幹部に成長し、きっと「たま名誉永久駅長」とともに、和歌山電鐵や世界の地域公共交通と、それらを支えてくれる皆さんを優しく見守ってくれると思います。

たま駅長ヒストリーは下記の如くです。

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