和歌山電鐵 社長
小嶋光信
今日、たま駅長の就任10周年を迎えました。
たまちゃんとは、「和歌山電鐵の10周年とたま駅長の10周年まではお互いに頑張ろうね」って約束していましたが、一昨年6月、一足先に「たま大明神」になってしまいました。きっと、「ニタマ駅長」が十分後継者として育ってきたのを確認してバトンタッチして、神様になったのだと思います。
たま駅長との出会いは、2006年4月1日、南海電鉄から和歌山電鐵貴志川線として再生を始めた、まさにその日で、再生の出発のセレモニーが終わった後でした。
当時は、 2000年、2002年の規制緩和で、地方公共交通を中心にして全国各地で31社が次々に経営破綻し、92社ある地方鉄道も70社の赤字路線は存続の目処が立ちにくい状況下でした。世界の先進国で地域の公共交通を民間に任せきった国は日本だけで、日本は公共交通の赤字を補助金という方法で支えていましたが、その大きな支えを財源の乏しい地方自治体に任せてしまったために、多くの路線が失われました。私は、その起死回生には、ヨーロッパ型の「公設民営」が有効であることを三重県の「津エアポートライン」で実証し、その方法で和歌山電鐵貴志川線の再生を行なったのです。
「三毛猫のたまちゃんを貴志駅の中に住まわせて欲しい」という駅横の小山商店のおばちゃんに頼まれて、公共の場である駅に個人のペットを住まわせるのは難しいな…と思いつつ、「男の子だったら300万円もする三毛猫よ」と言うおばちゃんの言葉に誘われてたまちゃんを見に行ったところ、毅然としたたまちゃんにグッと見つめられました。「瞬間的に、この子は貴志駅の駅長だ!」と閃きました。駅長なら個人のペットではなく仕事で駅にいるのだから文句は言われないだろうと咄嗟に思いました。
たまちゃんは駅長に就任すると、翌日から帽子をかぶり、改札台に座ってご利用客のお迎えやお見送り、電車が出るとプラットホームの安全の見回りをしていたのです。その姿をお客様がインターネットで流し、マスコミが記事として取り上げ、「たま駅長」はみるみる世界の人気者になりました。
貴志川線の再生には、「貴志川線の未来をつくる会」の皆さんや、和歌山県、和歌市と紀ノ川市(旧貴志川町)のバックアップのお陰と、我々・和歌山電鐵の社員皆の努力、水戸岡さんデザインの魅力的な電車や建物等の上に、「たま駅長」という強い味方があったのです。
今日この日に和歌山県の仁坂知事、紀の川市の中村市長、和歌山市副市長のご臨席をいただき、多くのお客様とご一緒に就任式ができたことに本当に感謝です。
たま駅長の就任10周年にあたり、たま駅長が「よんたま」ちゃんをプレゼントしてくれたのだと思います。
よんたまちゃんは和歌山市生まれです。昨年4月20日、一週間前に飼い犬を亡くした女性の家に、まだ目の見えない仔猫をくわえた母猫がきて、置いていったのです。一緒に暮らしていた犬が亡くなったばかりで仔猫を飼う気持ちもなく、途方にくれてたま駅長の社葬に来た時に、たまたま会った習い事のお友達に相談したのです。その友達が和歌山電鐵につないでくれて、私の第一回目の面接でパスして、里親もなかったため、岡山に連れて帰りました。岡山電気軌道内にある世界でただ一つの、訓練をしない「猫駅長訓練所」で、「人が好きなこと」・「帽子をかぶるのを嫌がらないこと」・「仕事を嫌がらないこと」の三要素のチェックと私の最終面接を通過して、今回の抜擢になりました。
本来は、駅長には「SUNたまたま」ちゃんの順番でしたが、親代わりの広報のYさんが可愛くて「この子は手放しません。岡山に置きます」と手放さなかったために、急遽、よんたまちゃんが駅長見習いとして登板することになったのです。
就任式で、『「よんたま」を社員として採用し、伊太祈曽駅駅長見習いに任命する』と発令をしました。
また、教育責任者にはニタマ駅長を任命しました。
ニタマ駅長が伊太祈曽駅駅長に任命された時は、たま駅長が教育責任者で、「ちゃんとしなさい。ハー!」って、ニタマ駅長はたま駅長に厳しく教育されたので、同じように「駅長には10年早い。ハー!」ってよんたまちゃんも叱られていました。
その後、「たま神社」に駅長見習い就任の報告によんたまちゃんと一緒に行き、たま大明神に「よんたま、頑張るニャンゴ!」と激励されたのか、健気に初仕事の「たま駅長福銭」を私と一緒に配りました。
お客様もすごく楽しそうで、素晴らしい就任式になりました。