「貴志川線の未来を“つくる”会」の結成20周年に感謝状贈呈

和歌山電鐵

社長 小嶋光信

恒例の第18回になった貴志川線祭り(主催:貴志川線運営委員会)で和歌山電鐵のパートナーとも言うべき「貴志川線の未来を“つくる”会」の木村代表と退任される奥山事務局長に和歌山電鐵から感謝状を差し上げました。

2004年に南海電鉄が貴志川線を廃止すると発表した頃は、国土交通省の幹部の予測によると全国にある約90の地方鉄道のうち約70は破綻するだろうということで、私はヨーロッパ型の公設民営を津エアポートラインとして実証実験に取り掛かっている頃でした。

「貴志川線の未来を“つくる”会」から貴志川線の再建の依頼を受けて、現地調査で分かったことは3点でした。

1,貴志川線の存続運動は全国でも珍しく沿線の皆さん主導の草の根運動で、約6400人の会員が自ら1000円の会費を払って手弁当で「乗って残そう貴志川線」という目に見える活動をされていたこと。

2.国・県・市・町が住民運動に呼応して支援体制を作ろうとしていたこと。

3.貴志川線は西日本有数の三社参りの参宮線として作られて、これらの忘れられた文化遺産が再建の観光資源として蘇える可能性があったこと。

です。

特に私が再建しようと決意したのは、通常の存続運動は公共交通の破綻を心配して行政が中心となって地元の名士と補助金による存続運動が多かった中で、本当に目に見える活動を補助金ももらわずに手弁当でひたむきにしていたことが現地で確認出来たことです。

これらのことに加えてネコの手も借りたい地方鉄道の再建に、民間鉄道としては世界で初めての猫の「たま駅長」が現れ、水戸岡デザインによる楽しい電車たちも相まって、一躍世界が注目する地方鉄道になることができました。

この再建活動に影となり日向になってひたむきに手助けをしてくれたのがこの「貴志川線の未来を“つくる”会」の皆さんで、彼らの運動が無かったら私は貴志川線の再建に乗り出すことはなかったと思います。彼らがまさにボランティアパトナーであり、再建の要だったのです。

貴志川線祭りの会場は伊太祁曽神社の境内と伊太祈曽駅です。当日は、昨日の台風崩れの影響の豪雨が嘘みたいに晴れあがった中で、多くの皆さんで賑わうメイン会場の伊太祁曽神社の境内で、鶴保参議院議員、尾花和歌山市長、和歌山県赤坂地域振興部長、紀の川市栗本企画部長をご来賓に迎えて、「ニタマ駅長」と「よんたま駅長」の立ち合いのもとに感謝状を贈呈しました。「ニタマ駅長」が「20周年おめでとうニャン。これからも頑張ってニャゴ。」と声援を送ってくれました。

貴志川線の再建を岡山電気軌道を母体に和歌山電鐵として私が提案のヨーロッパ型の「公設民営」の実証実験で推進すると、国は地方鉄道の再建手法として「公有民営」という制度を整えてくれました。

ところが皮肉なことに本家本元の和歌山電鐵が国の制度の出来る前のテストケースでしたから、中途半端な体質になったままでいます。

これからキチンとした「公有民営制度」に切り替えていかなければなりませんので、今後も皆さんのご支援をよろしくお願いします。

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